鈴木も小さな『逆転人生』を歩んでいる⁉

2020.11.10

こんにちは!鈴木でございます。いつも、いつも、こんなにデタラメで使いにくい鈴木の店をご贔屓賜りまして、本当にありがとうございます。
コロナに振り回されている今年ですが、気が付けば・・・と言う感じで、あっという間に11月、もう年末まで僅か50日位となってしまいました。
いわゆるコーヒーシーズンに入ったからでしょうか、とても忙しくさせて頂いておりまして、お渡しもお待たせしたり、ご配送も長々とお時間頂戴したりと、相変わらずと言うか、更にご迷惑おかけしている状態で、申し訳なく感じております。
この後、勿論先の事は分かりませんので、皆さんが鈴木の店に愛想をつかして、凄くヒマな年末になる可能性も有りますが(愛想はもうつかしているかもしれませんが・苦笑)、もしも今までと同じと考えますと、今年の年末は、かなり御迷惑をお掛けすることになりそうですので、先に謝って置く事にしました。『ゴメンナサイ、クリスマスまでとか、年内とか、ご希望の日にちには届けられないと思いますし、12月に入ったらすぐに年内は打ち止めになってしまうと思いますので、こんな妙な店は見限って頂いた方が宜しいかもしれません・・・本当にスミマセン、ご容赦下さい』・・・と、一応謝ったという事で、お許しくださいね。(謝れば許されるわけじゃあない?・笑)
まぁ、いい加減な鈴木の事は皆さんご存知ですので、分かったうえでお付き合い頂けるとは思いますが、そのうち…とか、忘れた頃…とか、そんな案配でお付き合い頂ければ幸いでございます。
そんな、こんなで、相も変わらずな鈴木の店ですし、このブログページも、なかなか更新しなかったり、かと思えば、高校生時代に作った歌を載せてみたり(ハッピーキャロルのテーマソングはほぼ高校1年生の頃に作った歌なんです)と、デタラメ感満載ですが、そんな鈴木に、先日も「鈴木さんの人生をNHKの『逆転人生』で見てみたい!」とか仰って頂く方も数人いらっしゃったりして、何だかありがたいです。(そう言う声が結構多いんです)
その方達曰く、後に奥さんになる人から貰った僅かな自家焙煎コーヒーがきっかけで、自家焙煎の世界に入り、商売がうまく行かず、死にはぐったところから、各界著名人にも愛飲される、全国区の店にまでなったという事が、ある意味凄いんだそうです。
私からしてみましたら、恥ずかしい話ですし、只々、必死で生きて来ただけなのですが、振り返ってみれば、そして、客観的に見てみれば、もしこれが他人の人生だったら面白いかも?・・・と、感じております。
今年はコロナ禍という事も有り、当店はお陰さまで皆様に支えられておりますが、カフェも厳しいですし、飲食のお店は殆んど大変な状況のようです。
そんな人たちに、私の話など、あまりに小さな逆転話ですが、少しでもお役に立てるようなら、勿論、そんなちゃんとした番組でなくとも、どこかしらで、話して行こうかな?と、最近は考えるようになりました。
メディアでのお取り上げも、自分の事や、店の宣伝など、おかげさまで一切必要のない状況ですが、そんなことは一切関係なく、しんどい思いをしている方々に、こんなダメな鈴木と言う人間でも、考え方を変える事によって、運命が開けたという事実を、恥ずかしい事ではありますが、今後機会を見つけてお話しして行こうと思っております。
最近のお客さまは、鈴木のダメだったころの話としましては、商売がうまく行かなくて、自殺を考えたけど、思いとどまって今がある・・・という話はご存じかと思います。
勿論その話がやっぱり一番大きな転機なのですが、その前も順序だてて思い返してみますと…
高校を出て、プータロー生活を、喫茶店やパブでのアルバイト生活で耐えしのいでいた時期があり、何時しか自分で喫茶店を…と考えたり、親の為に大学を出よう・・・とも考えて、夜間の大学に通ったりした時期もあり、その後、ひょんなきっかけで24~25歳の頃に、小さな喫茶店もどきを始めるようになったり、ただその時期に胃を壊してしまい、コーヒーが飲めなくなっていたのですが、現在の家内から貰った、僅か10gほどのクリスマスに配っていたサービスの自家焙煎コーヒーを飲んで衝撃を受け、何時しか自家焙煎の世界に入ろうとするようになり、只、そう簡単に商売はうまく行かず、皆様良くご存知の首を括る縄を買いに2キロほど先のホームセンターに歩く最中に、自分の心に変化があり、自分の利益の為のコーヒー創りから、喜んでもらえるコーヒー創りへと、思いを変えただけで、逆に言えばそれしか出来ないので、その思いだけで耐えしのぐ時期を過ぎる事によって、気が付けば、世で言う「繁盛店」への仲間入りをさせて頂けるようになった・・・こんな感じでしょうか。
勿論、そんなに大きな逆転話ではないんです。借金も、テレビで見てると何億とか、何十億とか、そういう話も平気で聞きますが、私の場合は、せいぜい数千万、それでも、どん底の頃は膨らんで一億近くあったかもしれません。大きな商売ならば、逆転も出来そうですが、家庭向けの豆売りと言う、毎日数千円から数万円しか稼げないと言われていた、細かな商売の世界ですので、普通ならあきらめるしかないのですが、なぜかそう言う気は毛頭なく、死ぬのを思いとどまってからは、人にカス呼ばわりされることが有ったりしても、只々耐え抜く事が苦でなく、『自分で死ななくても、死ななくてはいけない時期が来ればきっと殺してくれるはず、今生きているという事は、生きていて良いという事、だから、やれることをやり尽くそう!』そう考えて、耐えていました。
自分達の持ち物で、売れる物は何でも売りました。結婚指輪も売りました。家内は、ガスの検針が来ると息をひそめて居留守を使っていました。店の電話は、なくては困るのですが、払いは朝電話が通じなくなって、止められてからしか払ったことがありませんでした。
コーヒー豆も、安く売ったりもしましたし、色々と試しました。コーヒー豆を夜配達もしてました。8万円位で買った車だったかな、ボロボロのブルーバードで店が終わった後配達して回って、我孫子市と、柏市ならどこでも行ったので、ガソリン代が利益を上回らないように・・・と、気を使っていたことを思い出します。
ただ一つの楽しみは、その頃まだ小さかった子供に、たまにお土産を買って帰ることでした。アパート近くのコンビニに立ち寄って、数十円のお菓子を一つだけ買って帰るのですが、レジに並ぶのが、その時はすごく恥ずかしかった記憶があります。(今なら気にしないのですが買い物出来ないときってそんなもんなんです・苦笑Ⅱ)
コーヒーの販売方法も色々試しましたが、皆さんが私に求めるのは、安さより美味しさ、と気付いてからは、美味しさだけを追求するようになりましたし、おかげさまで、そのうちあちこちで取り上げられるようになり、その時の負の借金も平成の終わり頃には完済することが出来ました。
今、自分たちは大金持ちでは決してありませんが、素晴らしいお客様達を財産のように沢山持ち(もう金銀財宝です!)、夜配達しなくても、皆さん予約して迄買いに来てくださいますし、家賃にしても、電気、ガス、水道、電話代等々、何一つ遅れることなく(止められることなく?)払える事が、とてもとても幸せな事と感じると、家内とよく話しています。(店の家賃が払えなかったとき「家賃も払えないなんてお前なんかカスだ!」って言われていたんですから・笑Ⅱ)
現在は、各界著名な方々はじめ、北は北海道から、南は九州・沖縄まで、あまりに多くのお客様達にご支持頂いておりますが、20~30年前は、そんな店・人間だったんです。
・・・いやいや、また気が付けば長々と失礼しました。小さな小さな、鈴木の『逆転人生』のお話しでした。お付き合い頂きありがとうございます‼

※今日の写真は、最近お気に入りマイポットを自慢気に撮ってみたものです。何気ないのですが、ふたが一体型になっていて、これが思いのほか良い感じなんです。(^^♪