しんどい時には笑いが一番ですよね⁉

2022.07.31

こんにちは。鈴木でございます。先日は、元総理が狙撃され亡くなるというショッキングな事件があり、その後は、またまた異常気象や、コロナの第7波とかもあり、何だか世の中暗いニュースばかりが多くなっておりますが、そんな時には、かえって明るく過ごすのが大事と思い、今日は、今回、ホームページをリニューアルする際に見つけた、鈴木の昔の写真でも見て笑って頂ければと、恥を忍んで載せてみました。
多分二十歳頃の物だと思いますが、昔の日記ページをざっとチェックしている際に見つけたものです。
実は、僕は自分の若い頃の写真を殆んど持っておりません。これは、昔からのお客さまは聞き飽きた話と思いますが、私は、24才~25才位の頃から元手もないのに、喫茶店もどきのお店を始めてしまった無茶な人間なのです。
只、途中で、自家焙煎コーヒーに目覚めてしまって、それはそれで、今考えれば良かったのですが、当初豆が売れず、借金だらけで、毎日数千円しか売れない豆屋のくせして、借金は膨れに膨れて1億円近くにまでなり、もうどこでも借金も出来なくなり、全財産をかき集めて、レジの中のお釣り銭を合わせても、2千円と小銭が少々になって、月末にはまた数百万の支払いが待っているという、そんな生活が続いてしまい、もう全てやり尽くした気がして、死を決意し、全財産の2千円を握り締めて近くのホームセンターに首を括る縄を買いに行く途中、全てやり尽くしたようで、たった一つ、『人様の為のコーヒー創り』をしていなかったことに気付き、全てを捨てて、やり直そうと生きる決意し、借金も返せないところには頭を下げて待ってもらうようにお願いして回り、勿論、随分と厳しい言葉も投げかけられ、「あんたなんか何の価値もない人間で、早く借金だけ返して死んじまえ!」的な事を言われる事も有りました。
只、これは本当にありがたい事ですが、自分の為だけの物創りから、人様に喜んで頂ける物創りへと、考えを変えただけですのに、その後、本当にビックリするほど多くのお客様に支持頂けるようになり、気が付けば、破産するしか道はないと言われていたにも関わらず、気が付けば、行列ができるコーヒー豆屋となり、日本一の個人豆店と言われる事も有り、気が付けば、いつしか借金も清算出来てしまいました。
明るい話を・・・と言いつつ、またもや暗い話で失礼しました。そのやり直しを決意したときに、昔の自分はすべて捨てようと決意して、実は、若い頃の写真もすべて捨ててしまったので、それで、私は若い頃の写真を殆んど持っていないのです。(長い説明となりました・笑)
それと、私は高校2年生の頃に、一念発起して、ラグビー同好会を立ち上げて、色々と有りましたが、卒業まで何とか活動していたのですが、その頃、それと同時に行っていたのが、実は、クラスメイトに誘われて、芸能事務所のお手伝いもしておりました。
変わり者の私は、ラグビーつながり以外、ほとんど友人はいなかったのですが、大して仲も良くないのに、なぜかしょっちゅう声を掛けてくれるクラスメイトが居て、話を聞くと、その子は、芸能事務所の手伝いをしていて、高校を卒業したら、その事務所に就職する事が既に決まっているという話でした。
自分がタレントさんになるならわかるけれど、最初から裏方さんとして働く予定でいるという事で、何か不思議な気はしたのですが、考えてみましたら、当時は勿論携帯もメールもありませんから、アイドルとかがテレビ出演する際、人集めをするのも結構大変らしく、そういう若い人たちも、事務所では囲い込みしていたようです。
ラグビーも楽しくて仕方なかった頃ですが、学校には土のグランドもなく、週に2~3回は、近くの芝公園で遊んでいるガキどもをどけて(いえいえお子さん達ですね・苦笑)練習したりしていましたが、それでもまだヒマにしていることも多かったので、歌番組とかをタダで見れますので、バイトとしては大した額ではなかったと思いますが、何だか面白いので、時間が合えば、その子の手伝いをしておりました。
色々な事をしたのですが、一番嬉しかったことが有りまして、当時、僕は女性アイドルに熱を上げる事はなかったのですが、沢田研二さん(ジュリーですね)が格好良くって、格好良くって、大好きでした。
ある日、当時、日曜日の昼間に日本テレビさんで生放送されていた「TVジョッキー」とか言う番組だったと思うのですが、ジュリーと、デビューしたての杏里さんと、あともう一人くらいゲストが出る日があって、「事務所の社長にお前の事も紹介したいので、遊びに来るか?」と言うので、何のことかわからなかったけれど、とにかく生でジュリーが見られる!・・・と、二つ返事で昔の日テレさんに行きました。
スタジオは思ってたより小さな感じのスタジオでしたが、その何処の事務所の社長か興味もなかったのですが、軽く挨拶をして、その後はいつものように、観客さん達を席に案内して、もし人数が足りなければ自分も観客になるのですが、その当時のジュリーは桁違いの人気で、貸切バスで、追っかけのおばちゃ・・・(いえいえ奥様&お嬢様達ですね・苦笑2)がいる位でしたから、観客席はいっぱいだったので、これまたいつものように、カメラのケーブルとかを足が引っ掛からないようにちょっと片す振りをしながら、生放送のカメラの隣で、邪魔にされながらも、杏里さんの「オリビアを聞きながら」もすぐ目の前で聞いて、『おぉ、上手いもんだなぁ…』と感心してみておりましたら、「はいCM行きます」となり、次はいよいよジュリーの番です。
メインのカメラの横でそわそわして待っていると、カメラマンに、「どこの坊やだ、邪魔だよ」と怒られて、仕方なく、隣のカメラの横に移りCM明けを待っておりますと、何かが私のほっぺにあたるじゃないですか?またカメラマンに怒られるのかなと思いまして、横を向いてビックリ‼なんと、私の顔の数センチ横に、ジュリーが居て、スタイリストさんに髪をとかして貰っているではないですか⁉、その髪が私のほっぺにあたっているのです。危うくジュリーとキスしてしまいそうな距離です。(笑2)
いやぁ~、ビックリしたけど、嬉しかったなぁ、『す、すみません』と言って、その場を離れて、ジュリーの歌うの見てたけど、格好良かったし、大満足です。
それと、後日分かったことなんですが、そのクラスメイトは、実は僕に芸能界入りを勧めたいらしくって、それで、特に仲も良くないのに、僕によく声を掛けてくれていたらしいのです。
彼が言うには、「これからは、役者でありシンガーソングライターでもある人がタレントに向いている」ということらしく、確かに、僕はその頃、オリジナルの歌を作って、50人位を前にして歌う事はありましたが、オリジナルの歌を作っているのは、吉田拓郎さんにあこがれていたのもあるのですが、実は、自分が歌が下手なのを隠す為でしたし、見た目だって、あの程度ですから、決してその世界で活躍できるような若者ではないと思います。
創った歌をテープに吹き込み、当時流行っていた「ポプコン」(中島みゆきさんとかを輩出した凄いコンテスト)とかに出す事も有りましたが、勿論途中で落選しましたし、只、有名な事務所から連絡があって、「まだ、プロとしては無理だけど、今度デビューする新人の子の更に前座で良ければ歌わしてあげようか?」なんて電話頂く事もあって、今なら、もしやりたいことが有るなら、どんな形でも、その世界に入ることが大事だと思うので、えらいデタラメでも『やらして下さい!』と言ったと思うのですが、当時はとにかく怖くて、そんなの絶対に無理無理と、お断りしたのでした。
まぁ、勿論どんな世界に入ったとしましても、鈴木は何をやっても大失敗したでしょうから、それで良かったと、今、物凄く多くの著名な方々とお付き合いするにあたって、つくづく思う今日この頃なのであります。(皆さん凄い才能ですもんね)
いやいや、またしても随分と長くなりました。くだらない話でスミマセン。鈴木は若い頃からやっぱり馬鹿だな・・・と笑って頂ければ幸いです。
今回は、ホームページをリニューアルしたというお話しでした。
何か使いにくい点等ありましたら、遠慮なくご指摘下さいませ。いつも本当にありがとうございます。それでは、この辺で失礼致します。

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只、電話には出られないことも多いので(なんたって秋篠宮様からの伝言を頼まれた皇室関係の方の電話にも出ずに困らせてしまった鈴木ですから・苦笑)、その際は、留守番電話にお名前とご連絡先を入れて置いて頂ければ幸いです。追って、こちらからご連絡させて頂きます。宜しくどうぞ。

いつも本当にありがとうございます。
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