HISSHI(必死)

2002.05.02

=「気まぐれ日記02年5月2日・無信仰でも、神様には感謝する」より=

んっ、そう言えば、私は5月4日で42才、いやぁ~知らないうちに、結構年取ってきたなぁ・・・。

10代後半から喫茶の世界に手を染めて?いるから、もう人生の半分以上、珈琲と一緒なんだ。

まさかこんなに長く、そして、密な?付き合いになるとは思っていなかったもんで、何だか不思議。

でも、人生は、不思議なことの連続だから、もしかしたら、これが「当たり前」なのかも知れない。

20代の頃始めた、小さな喫茶店。必死で働きすぎたらしく、倒れたのが28才の頃だったかな。

車を運転していたときに、気を失ってしまって、運良く事故も起こさないですんだけど、警察に

発見されたときも、何だか意識がはっきりしなくって、「これって、テレビドラマのワンシーン?」

みたいな気がしてた。タッチの差で、その後、僕を発見した家内も、泣きながら怒っていたっけ。

そんなことがあったのに、あきらめ悪く、その後も、この世界に居続けた私。

30代は、とにかく迷ってばかりだったなぁ。何処にどう進んで良いのかわからなくて、溜息ばかり

ついていた気がする。迷い続けて、逃げてばかりいたら、最後には「この世」からも、逃げる事を

考え始めていて、「きっと、そのほうが楽・・・」なんて思っていた。でも、色んな人に助けられて

子供も産まれて、勇気づけられて、でも、もがくだけで、糸が絡んで、何処にも逃げられなくって

何をどうしたら良いのか分からなくなって、最後の最後、ギリギリに気がついたことは、「逃げない」

と言う事。負けない、逃げない、あきらめない。頭文字を取って「もう一つの珈琲マ・ニ・ア」と呼ぶ

鈴木特有の、恥ずかしくなるような、一種の精神論は、その時生まれました。私は、無信仰ですし

「神に祈る」なんて事とは、ほど遠い世界の人間ですが、一度だけ、こう叫んだことがあります。

「神様がいるなら聞いてくれないか!・・・私は、頑張る。何があっても、負けずに頑張って見せる。

きっと、この世の為になって見せる。だから、もし私のことを必要と思うならば、もっと頑張らせて

くれないだろうか?私に力をくれないだろうか?!・・・そしてもし、私みたいな人間がいらないと

いうのなら、生殺しにしないで、いっその事、殺してくれないだろうか!」(夜、車の中で叫んでた)

こんな馬鹿なこと言う奴いませんよね。今思えば、只恥ずかしいばかりですが、その時は、真剣に

そう思っていました。でもね、本当に不思議なんですけど、その後は、良い事がたくさん有りまして

気がつけば、私の創る珈琲に「希望を見つけた・・・。」と言って頂いたり、「感動できる珈琲と

始めて出逢うことが出来た・・・。」と言っていただけることも多くなりました。(ありがたいですね!)

「神様って、案外?お願いを聞いてくれるんだね!」最近では、そう思えるようになった私です。

年に一回だけですけど、誕生日の頃になると思い出して“感謝”しています。(本当ですよ)

でも、願いを叶えてくれなければ“殺せ”なんて、お願いじゃなく一種の脅迫?だよね。(反省・・・)

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