鈴木流“恋愛論?”

2004.06.16

love-1私が恋愛について語るなんて、あまりにもおこがましいのですが、なんだか、最近「ふっ・・・」と、考えてしまいます。
勿論、語るに落ちる?のは目に見えていますが、少しおつきあい下さい。

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「魂のつながり」そんな言葉が胸をよぎります。この年(現在44歳)になって思うのは、見た目も、相性も、考え方も、生き方も、その他諸々、全てひっくるめて、もう何でも良くて、只単に、その人の魂を感じていられさえすれば良い・・・そんな風に強く思ってしまいます。

若い頃は、女性関係もデタラメな鈴木でしたが、そんな中で只一点、強く考え続けていたことがあります。「僕は、彼女の顔が無かったとしても、強く愛せるのだろうか?・・・」っていうことです。
こんな事考える人って、いないかも知れないですけど、若い頃、僕はよく考えていました。
それには勿論理由があって、実は、僕は小さい頃、女の子に随分嫌われていたんです。
小さい頃、僕は超肥満児でして、どれくらいか?・・・というと、ジャンパーのチャックが、お腹に引っ掛かって上がらなかったりする程なんです。ただ、太っているだけでは、勿論女性には嫌われません。でも、そのころの僕は、手足にイボが沢山出来てしまい(50個位)更に、今では信じられませんが、ものすごく内向的で、学校でも発言することもなく、只ジッと椅子に座っているだけの、先生にも不気味がられる、子供だったんです。(勿論、今思えば、見た目云々ではなく、私の中身に問題があったと思うのですが・・・)
でも、どういう訳か、中学生の終わり頃には、すごく痩せて、イボもなくなって、必然的に明るくなり、話もできるような、普通の若者になって行きました。そして、成長するにつれて、いつしか子供の頃の事も忘れ、女の子とも、ごく普通にお付き合いするようになりましたが、でも、そんなある日、ふっと思ったんです。「今の僕でなく、たとえ昔の僕であったとしても、彼女は僕を愛してくれるのだろうか?また、彼女の美しい顔が変わってしまうことがあっても、僕は、彼女をずっと愛し続けられるのだろうか?・・・」と。(変な若者ですよね)
今じゃこんなオヤジの私にも、一瞬はモテた時代がありまして、自慢ではない?のですが、決まった彼女がいるにも関わらず、アパートの前で待ち伏せする“追っかけ”の子達もいたり、バイト中にも、女の子達が押し掛けてきて困ってしまう程です。(これは絶対自慢だね・笑!)ただ、そんなとき僕は物凄く冷めていました。「君たちは、今、僕の見た目がちょっとだけ良いから、追っかけてるけど、見た目の悪い僕に戻ったら、見向きもしないくせに・・・」と。
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随分と卑屈な若者ですよね。僕の考えは、いつも極端で、そんなことどうでも良い事なんでしょうけれど、その当時は、ど~にも、気になって仕方がありませんでした。
そこで、今になって思うのは、「魂のつながり」なんです。
長い話になってしまいましたが、最終的にはそこに行き着くような気がしています。たとえ、肉体が有っても無くても、お互いが、この世にいてもあの世にいたとしても、あなたの“魂”があり続ける限り、永遠に続く思いです。鈴木流“恋愛論”でした。
(こんな話、柄にもないね。失礼しました・・・)
                                     <2004年6月16日>