今日は、思いで話につきあって?!

=いつも、ご予約いただいているお客様、本当にありがとうございます!=

arigatai-1 ←これは、最近のとある日、開店前のありがたいひとこまです。

白く咲いたお花のように袋が並んでいますが、これは、みんな

お客様にお電話等で、ご予約いただいた珈琲豆が入っています。

こんなわがままなお店に・・・もう、感謝の気持ちで一杯です!

入りにくい店。わがままな店主。休みが多く、営業時間が短い。お客様に対して、申し訳なくなる。

こんな店で良いのかな?・・・、もっと販売に力を?・・・、いや、味が一番だ!これで良い・・・。

毎日、心が揺れ続けている。そんな時、不思議と思い出すのは、先日他界した父親のことだ。

私が、いわゆる商売の道を歩き始めたのは、父の姿を見ての“反発心”だったのかも知れない。

あまりに私的なことだが、日記ページと言う事で、今日は少し「思いで話」をさせて下さい。

逆に、“鈴木のこだわり”の原点が、見えてくるかも知れませんよ・・・。

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私の父は、いわゆる普通のサラリーマンだったが、世代的なこともあるだろうけれど、何だか

異常な働き者だったように思う。大正終わりに生まれた父は、勿論戦争も体験していて、満州から

帰国後、兄貴分であったらしい、会社の社長と一緒に、海運業を始めた。

いわゆる、海の運送屋さんだが、そのうち日通の系列に入り、会社は急成長を続けたようだ。

社長の右腕だった父は、本当に良く働いたようで、仕事での武勇伝も、たくさん聞かされた。

嵐の中、誰も運べないと言う「血清」を、自分が、命がけで、小さな島まで運んだ話とか・・・

大学で機械系を学んだ父が、沈みそうな船を、指を機械に挟まれ、数センチ切断しながらも

見事に生還させた話とか・・・。当時、子供の私には、どうでも良い話を、何度も聞かされた。

只、自分の仕事に“誇り”のような物を持っている父は、子供心にも、何だか輝いて見えていた。

大きな仕事も記憶にある。南極観測隊と言うんでしたっけ?「宗谷(こんな字だったかな?)」とか

「ふじ」とか、そのへんの荷物の総責任者として、活躍?して、何度も表彰されていた。

一度だけ、「ふじ」と言う、大きな観測船には乗せてもらったこともあって、確か私が、小学生の

高学年だったと思うのですが、艦長自ら船内をくまなく案内してくれて、おみやげは何が良い?

と聞くので、「ペンギン」と答えたら、「う~ん、それはちょっと難しいかな?」と、艦長さんが

結構困った顔をしていた記憶がある。でも、甲板で走り回っていたら、いかりを降ろす穴に

足を挟まれてしまい、大騒ぎになった恥ずかしい思い出もある。(当時肥満児で見事に挟まった)

考えてみたら、実家には、南極の石がたくさんあるし、毎年のように、夏になると「南極の氷」で

カルピス?を飲んでいたように記憶している。(シュワシュワっとして、カルピスソーダ?になる)

一生懸命に働く父は、子供心にも、やっぱり「誇り」だったと思う・・・。

ところが、そんな父が、ぷつっと会社に行かなくなった!まだ50代だったんじゃないかな?

役員になった父は、現場監督から離れ、会社に行って、はんこを押すだけで良くなった筈だ。

理由も言わない父に、母は慌てた。何たって、稼ぎが無くなったら大変だ。(女は、やはり現実的)

1ヶ月が過ぎ、会社の人も慌てた。(当たり前だ)連日のように、部下が訪れる。

「帰ってきて下さい!鈴木さんがいないと、仕事が進まないんです。現場の人間が困ります」

「現場では、オヤジ(父のこと)の為だったら、命をかける!と言う奴らが何百人も居るんです!」

「お願いですから、帰ってきて下さい・・・」最後は懇願に変わるのだが、父は首を縦に振らない。

結局そのまま辞めてしまった。体の調子が悪い・・・と言う事を理由にしていたが、実際は違う。

父が、会社に行かなくなる少し前に、社長が亡くなった。兄貴分として、慕ってきた社長の死。

勿論ショックもあるだろうが、普通に考えれば、逆に発奮材料にも成るはずだ。後で理解したが

どうやら、跡を継いだ2代目、社長の息子とそりが合わなかったらしい。

社長の息子である2代目は、父は良く、「俺が勉強を教えて、東大を出させて、帝王学を教えた」

と言っていた。「素直な、良い奴だ」とも言っていたと思う。ところが、いざ2代目が社長になると

自分の部下が、「育ての親?」であることが、苦痛になってきたようで、仲が悪くなってきたらしい。

そんな話を聞いたのは、つい最近だったから、当時20代前後で、多感な青年時代を送っていた

私には、途中でリタイアしてしまった父が情けなく見えて、反発も強く、家も飛び出してしまった。

その後の私は、プータロー?を続けながら、知らないうちに喫茶業に身を置くようになりましたが

自分で、無理をしてまで、店を始めるようになったのは、「サラリーマンとして、あんなに頑張っても

結局、父のように途中で辞めてしまうのではないか?」と言う気持ちが、きっと、どこかにあったの

かも知れません。それと、勉強会などで、「鈴木さんは、2代目に厳しい・・・」と、良く言われていて

自分では、意識したことはなかったのですが、もしかしたらDNA?の中に、父の思いが入り込んで

いたのかも知れません。そうだとしたらご免なさいね。私がお会いした事のある2代目は、みんな

素敵な方達ばかりで、いつも勉強させてもらっています。本当ですよ!(うぅ、なぜか汗が・・・)

そんな父も、亡くなれば、やっぱり良い思い出ばかりです。いつも忙しすぎた父は、子供の私と

遊ぶ暇もなく、小学校高学年になって、キャッチボールしたら、私の投げるボールを良く捕れなくて

「手加減してくれよ」と言っていた父を、その時は情けなく見ていましたが、今思うと、その時父は

何だかとても嬉しそうでした。息子の成長を、肌で感じていたのかも知れない。最近は、やけに

そんな顔が目に浮かぶ。父は、父なりに一生懸命だったのかも知れない。もしかしたら、本当は

もっと頑張りたくても、そう出来なかっただけなのかも知れない・・・。

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今、自分は頑張れる環境に居る。これは、とても幸せなことだと思う。「僕は、いつまで頑張れる

だろうか・・・。出来れば、倒れるまで現役で居たいな。倒れる間際まで豆を焼いていて、ハンド

ピックしている最中に、静かに息をひきとる・・・。やっぱり、これが最高ですかね。」でも、かみさん

には、「静かに息をひきとる前に、いっぱい保険に入って置いてよ!」と言われちゃうかな?

いつの時代も「男はつらいよ」だね。さあさあ男性諸君、みんな頑張ってお仕事だよ!(はぁ~)

※今日は、思いで話に付き合ってくれて、どうもありがとう。明日から又、一生懸命頑張ります!

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